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1972年8月26日
この日は第二十回 夏季オリンピック「ミュンヘン大会」
が開催された日である。
当時 私は10歳にも満たない少年でしたが、この大会で
バレーボール男子がブルガリアとの決勝で0-2と先取されていた
にも関わらずそこから続けて3セットを連取し、
軌跡の逆転優勝を成し遂げたのを見て感激した事を覚えています。
また、体操競技男子ではローマ、東京、メキシコに次いで
この大会でも団体優勝し、『体操日本』を世界に強く印象付けた
事も覚えています。
本当に彼等は、とにかくすごかった。
機械体操競技では8種目24メダル中、実に16個のメダルを
取得し、個人総合と鉄棒及び平行棒では金銀銅を独占したという。
文字通り、過去から現在に至る中でも最強の時代だったのである。
そしてこの後の「モントリオール大会」でも団体金メダルを取り、
ギネス記録の「団体5連覇」を成し遂げたのである。
そしてその時のエース加藤澤男氏の演技を見て
私は体操競技の道へ入る決意をしたのである。
私が小学校の校庭で「バク転」や「バク宙」、そして鉄棒で
「トンボ返り」等を体得したのもこの頃からである。
あの当時、いつもお昼放課の砂場で
助走から側転→バク転・バク転→後方伸身宙返り を
披露して見せると女子達から拍手が沸いたものである。
あれから随分と時間が流れてしまったものだが、
あの時のバイタリティーを忘れずに、これからも精進してゆこうと
思う。
中学へ上がって直ぐに体操部から誘い(中学では私を知らない体操部員は
いなかった)があり、一年の夏には二年生や三年生に混じって
発表会にも参加した。
日々の練習では、手の皮はマメが潰れ、プロテクターの内側は
いつも血糊で真っ赤でありながらも必死に鉄棒にぶら下がった
ものである。
不得意の跳馬では恐怖心に打ち勝ちながら「塚原飛び」を
練習した。
そう、あの時のガッツさえ忘れなければ何でも出来ると思う。
変に落ち着かず、これからも前を向いて目の前の加工に
立ち向って行こうと思う。
MCヨッチャンのBLOGへ
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機械加工が本業のサラリーマンです。
50代半ばを過ぎて外構DIYに出逢い、その難しさや楽しさを書き残そうとの思いで記しています。
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