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両親が育児放棄した5歳と4歳の姉妹が北九州市小倉北区の無認可の
私立砂津保育園に約2年間預けられていた問題で、姉は他の園児に
「私も(母親が)迎えに来る」などと話していたことがわかった。
21日に記者会見した佐藤良子園長(65)や市によると、2人は他の園児たちと
一緒に規則正しい生活を送っていたという。
姉妹は佐藤園長を「園長先生」と呼んでいた。
24時間保育の園では他の子どもたちと同様、毎日午前8時~8時半に起床。
3食とおやつをとり、午後10時には寝ていた。寝る時も他の園児たちと一緒。
1日1回は近くの公園に遊びに行っていた。
周りの子どもが「今日はママが早く迎えに来るよ」と言うと、
姉は「私も迎えに来るよ」と言うことがあった。そんな時、
佐藤園長は「ここがおうちだよ」と語りかけていたという。
姉妹は現在、児童相談所にあたる市子ども総合センターに
一時保護されている。多少やせているが、外傷や情緒的な不安は特になく、
食事も「おいしい」と食べている。姉には虫歯、妹には軽い歩行障害がある。
姉妹とも元気で人懐っこく、姉は妹の世話をよくしているが、
園での生活についてはあまり話したがらないという。
同センターは「姉妹をどうするかは親と話し合う。なるべく育ててほしいが、
できない場合は児童養護施設に預けるなど適切な方法をとりたい」としている。
「asahi.com」より
この姉妹の言葉を彼女達を捨てた親たちに聞かせてやりたい。
昔の言い方で言えば「施設の子」という事になるが、
実は私も幼い頃、一時的にお世話になった経験がある。
今となっては微かな記憶しかないけれど、
確か、教室の壁には「〇〇ちゃんお迎え おめでとう」なんて
書いてあったように思う。
その後、稲葉地のドヤ街(×鮮部落と呼ばれていた)に身を寄せて
生活した記憶もある。
その頃私は3歳だったと思うが、住処の前の田んぼの畦道を
歩いてくる少女によく給食のパンの残りを頂いたものである。
幼いながらにもその時間帯を私は理解もしていた。
あの韓国人の姉妹達は今でも元気でいるだろうか。
私は今でもその時の夢を見る。
話が逸れてしまったが、そういう私であるからこそ、
この施設の少女達の思いが痛いほど解るのである。
どんな理由があるにせよ、どんなに貧しくても、
子は親といるのが一番幸せであるという事にかわりはない。
たとえ、親がヤクザでもである。 その子を苦しめるかどうか
という事とは子にとって次元の違う話なのである。
離婚する夫婦も然りである。
子は親を選べない。
これとて、如何なる問題が有ったにせよ、子には罪は無いのである。
たとえ、親が殺人犯人であってもである。
親子とはそういう繋がりであるという事を知らないバカ親が最近多い。
子を捨てた親はその背に一生涯『子捨ての十字架』を
背負っていかねばならぬ。
私は そう思う。
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有難うございます。
機械加工が本業のサラリーマンです。
50代半ばを過ぎて外構DIYに出逢い、その難しさや楽しさを書き残そうとの思いで記しています。
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