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今年の夏期休暇は日数も短く
遠出は無理だと思っていたので
それならばと言う事でもないですが、
行きたい所ベスト1だった
岐阜県各務原市にある
航空宇宙科学博物館へ
行ってきました。
名古屋高速に乗って、清洲東から
一宮方面へ入り、一宮JCから
東海北陸自動車道で各務原IC下車。R21を走る事約15分で到着しました。
数年前に浜松の航空自衛隊浜松広報館へ行った事が有りますが、
そこでは零式艦上戦闘機に出会いました。
しかし今回訪れた各務原航空宇宙科学博物館には旧日本陸軍機の
三式戦闘機飛燕があるという事で期待していったのですが、
残念ながら見る事は出来ませんでした。
後で知った事ですが、将来の事としてそういう計画が在るという事でした。
私のはや合点でした。
さて、到着して無料の駐車場に入り、
向かうは目の前の大きな展示館です。
全体のブルーのカラーリングは
ブルーインパルスの青をイメージ
しているのかな?
とても鮮やかな色で、これには
少々感激しました。
入場券を購入して、
展示館に入り、先ずは各務原飛行場で
誕生した第1号機という「サルムソン2A-2型機」の復元モデルの
機体が今にも飛び立たんばかりの姿勢で私達を出迎えてくれました。
写真を撮ったのですが光量不足で上手く撮れませんでした。
そして展示場本館に入って目の前に現れたのが写真上の
低騒音STOL実験機 飛鳥(アスカ)の機体です。
これは圧巻ですね。川崎製C-1機の機体に国産のジェットエンジンを
搭載した機体だそうですが、エンジンが大きい。
元々川崎航空機では太平洋戦争中において二式大艇という傑作機を
開発したという技術力が有った訳で、それを思えば「なるほど」と
うなずける気がしました。
その二式大艇の完成度の高い設計思想は後の時代の大型輸送機や
大型水上機の発展に大きく貢献したと聞きます。
こういうのを見ると、日本の航空機開発も
まんざら捨てた物ではないと思います。
館内を一通り見て、最後に立寄った「モノづくり教室」
ここでは『ペーパークラフト』に挑戦しました。
長女も二男も参加しましたが、ここで俄然実力を発揮したのが
長男です。
普段からハサミを使いこなしている長男は、スイスイと型キリを
進めていき、あっという間に完成です。
そしてこれらが子供達が製作した
三機です。
左が二男、中央が長男。
そして右が長女の作った機体です。
こんな事でも思い出になりますから、
何でもやってみるべきだと思いますね。
この三機は帰宅した翌日には
原型を留めてはいませんでしたが、
まぁ、それも良しです。
各務原航空宇宙科学博物館入り口に展示してあった最初で最後の
国産旅客機「YS-11」をみて私は堀越次郎技師を思い出しました。
三菱航空機で零式戦闘機や局地戦闘機雷電を設計した方です。
””戦後の7年間””と言われるあの空白期が無ければ、
現在は、もしかしたらこの国日本は旅客機製造の先進国に
なっていたかもしれないと思うのには無理があるかもしれませんが、
このYS-11の設計に携わった設計技師達は当時のオールスターキャスト
といっても良い布陣でありました。
前・中部胴体設計:三菱重工(堀越次郎技師)
零式艦上戦闘機の主任設計技師
主翼とエンジンナセル:川崎重工(土井武夫技師)三式戦闘機飛燕の
設計技師
先頭胴体・圧力隔壁・水平垂直尾翼:富士重工(太田稔技師)
旧中島航空機で一式戦闘機「隼」を設計担当
床板・補助翼・フラップ:日飛
後部胴体、翼端、ドーサルフィン(垂直尾翼前方の安定翼):新明和
(菊原静男技師)旧川西航空機で二式大艇や海軍傑作機と
いわれる 紫電及び 紫電改を設計
操縦席・主翼前縁:昭和
降着装置:住友
当時、以上の四人に木村教授を加え、「五人のサムライ」といわれた彼らの
熱意が如何程であったかは今の私には推し量る術は無いですが、
敗戦後の占領下の中でも「国産の旅客機を開発してみせる」という
『ものづくり』の雄たけびはこの機をじっくり見れば伝わって来ます。
結果的には182機という生産で打ち切りになり、
また、純国産を目指しながらも「エンジンや電子機器」は外国製の物を
使用したYS-11機ですが、私には彼等「空に夢を抱いた者達」の
頑なな夢は何かの形で何時か実る物になると思えてなりません。
「モノづくり」に携わってきて本当に良かったと思えた一日でした。
遠出は無理だと思っていたので
それならばと言う事でもないですが、
行きたい所ベスト1だった
岐阜県各務原市にある
航空宇宙科学博物館へ
行ってきました。
名古屋高速に乗って、清洲東から
一宮方面へ入り、一宮JCから
東海北陸自動車道で各務原IC下車。R21を走る事約15分で到着しました。
数年前に浜松の航空自衛隊浜松広報館へ行った事が有りますが、
そこでは零式艦上戦闘機に出会いました。
しかし今回訪れた各務原航空宇宙科学博物館には旧日本陸軍機の
三式戦闘機飛燕があるという事で期待していったのですが、
残念ながら見る事は出来ませんでした。
後で知った事ですが、将来の事としてそういう計画が在るという事でした。
私のはや合点でした。
さて、到着して無料の駐車場に入り、
向かうは目の前の大きな展示館です。
全体のブルーのカラーリングは
ブルーインパルスの青をイメージ
しているのかな?
とても鮮やかな色で、これには
少々感激しました。
入場券を購入して、
展示館に入り、先ずは各務原飛行場で
誕生した第1号機という「サルムソン2A-2型機」の復元モデルの
機体が今にも飛び立たんばかりの姿勢で私達を出迎えてくれました。
写真を撮ったのですが光量不足で上手く撮れませんでした。
そして展示場本館に入って目の前に現れたのが写真上の
低騒音STOL実験機 飛鳥(アスカ)の機体です。
これは圧巻ですね。川崎製C-1機の機体に国産のジェットエンジンを
搭載した機体だそうですが、エンジンが大きい。
元々川崎航空機では太平洋戦争中において二式大艇という傑作機を
開発したという技術力が有った訳で、それを思えば「なるほど」と
うなずける気がしました。
その二式大艇の完成度の高い設計思想は後の時代の大型輸送機や
大型水上機の発展に大きく貢献したと聞きます。
こういうのを見ると、日本の航空機開発も
まんざら捨てた物ではないと思います。
館内を一通り見て、最後に立寄った「モノづくり教室」
ここでは『ペーパークラフト』に挑戦しました。
長女も二男も参加しましたが、ここで俄然実力を発揮したのが
長男です。
普段からハサミを使いこなしている長男は、スイスイと型キリを
進めていき、あっという間に完成です。
そしてこれらが子供達が製作した
三機です。
左が二男、中央が長男。
そして右が長女の作った機体です。
こんな事でも思い出になりますから、
何でもやってみるべきだと思いますね。
この三機は帰宅した翌日には
原型を留めてはいませんでしたが、
まぁ、それも良しです。
各務原航空宇宙科学博物館入り口に展示してあった最初で最後の
国産旅客機「YS-11」をみて私は堀越次郎技師を思い出しました。
三菱航空機で零式戦闘機や局地戦闘機雷電を設計した方です。
””戦後の7年間””と言われるあの空白期が無ければ、
現在は、もしかしたらこの国日本は旅客機製造の先進国に
なっていたかもしれないと思うのには無理があるかもしれませんが、
このYS-11の設計に携わった設計技師達は当時のオールスターキャスト
といっても良い布陣でありました。
前・中部胴体設計:三菱重工(堀越次郎技師)
零式艦上戦闘機の主任設計技師
主翼とエンジンナセル:川崎重工(土井武夫技師)三式戦闘機飛燕の
設計技師
先頭胴体・圧力隔壁・水平垂直尾翼:富士重工(太田稔技師)
旧中島航空機で一式戦闘機「隼」を設計担当
床板・補助翼・フラップ:日飛
後部胴体、翼端、ドーサルフィン(垂直尾翼前方の安定翼):新明和
(菊原静男技師)旧川西航空機で二式大艇や海軍傑作機と
いわれる 紫電及び 紫電改を設計
操縦席・主翼前縁:昭和
降着装置:住友
当時、以上の四人に木村教授を加え、「五人のサムライ」といわれた彼らの
熱意が如何程であったかは今の私には推し量る術は無いですが、
敗戦後の占領下の中でも「国産の旅客機を開発してみせる」という
『ものづくり』の雄たけびはこの機をじっくり見れば伝わって来ます。
結果的には182機という生産で打ち切りになり、
また、純国産を目指しながらも「エンジンや電子機器」は外国製の物を
使用したYS-11機ですが、私には彼等「空に夢を抱いた者達」の
頑なな夢は何かの形で何時か実る物になると思えてなりません。
「モノづくり」に携わってきて本当に良かったと思えた一日でした。
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» パネル
ここにロケットの胴体のパネル展示がなかったですか?
削り出しで作ったでっかいパネルです。
こういうのを見ると思わずたたいてしまいます。たたいてどのくらい振動したかを
みて納得して、ふと上を見たらたたかないで下さいと書いてあったような記憶があります。そのとき自分と同じようにたたく人がいるのを知ってなぜか安心した記憶があります
削り出しで作ったでっかいパネルです。
こういうのを見ると思わずたたいてしまいます。たたいてどのくらい振動したかを
みて納得して、ふと上を見たらたたかないで下さいと書いてあったような記憶があります。そのとき自分と同じようにたたく人がいるのを知ってなぜか安心した記憶があります
» 私も叩きましたよ
ふく様
こんばんは。
叩きましたよ。当然です。
そして上を見たら「叩かないで下さい」と書いてありました。
H-ⅡさらにH-Ⅲと日本の航空宇宙産業は順調に発展していますが、
あのロケットの先端部分のトンガリ帽子は深絞りによる手作り品なのですね。
NCでは上手く出来ないらしいですよ。昔の携帯電話のバッテリーみたいですが、
日本人の手技は大したものです。
こんばんは。
叩きましたよ。当然です。
そして上を見たら「叩かないで下さい」と書いてありました。
H-ⅡさらにH-Ⅲと日本の航空宇宙産業は順調に発展していますが、
あのロケットの先端部分のトンガリ帽子は深絞りによる手作り品なのですね。
NCでは上手く出来ないらしいですよ。昔の携帯電話のバッテリーみたいですが、
日本人の手技は大したものです。
» 訂正
削り出しじゃなかったですね。大昔のことで記憶が不正確でした。
飛鳥の中のコンピュータ(測定用かな)を今のPCと比べたらちょっと寂しいですね。紙テープと8GB USBメモリーのような違いが。
生きておられる土井さんを見たことあります。軽薄短小の対極にいるような人柄でした
飛鳥の中のコンピュータ(測定用かな)を今のPCと比べたらちょっと寂しいですね。紙テープと8GB USBメモリーのような違いが。
生きておられる土井さんを見たことあります。軽薄短小の対極にいるような人柄でした
» アポロ11号も簡単なコンピューターだった?
何かの番組で見た事ですが、
あの月面着陸をして、この星に帰ってきたアポロ11号のシステム
は、今で言う「任天堂ファミリーコンピュータ」並のコンピューターだった
と聞きましたが、御存知ですか?
その時のコメンテーターの言は
「今から思えば、よく帰って来れたと思いますよ」だって。
そういえば、テープでNCを動かしていた時代に比べて、
今はDNCですよ。しかも無線を使っている所も有ります。
我がMC工場は未だにRS232Cのリバースケーブルですが。
また、マシンのシステムも8ビットから始まって、今では64ビットが
主流ですよね。128もあるのかな?
ちなみに私の頭脳は未だに8ビットです。
あの月面着陸をして、この星に帰ってきたアポロ11号のシステム
は、今で言う「任天堂ファミリーコンピュータ」並のコンピューターだった
と聞きましたが、御存知ですか?
その時のコメンテーターの言は
「今から思えば、よく帰って来れたと思いますよ」だって。
そういえば、テープでNCを動かしていた時代に比べて、
今はDNCですよ。しかも無線を使っている所も有ります。
我がMC工場は未だにRS232Cのリバースケーブルですが。
また、マシンのシステムも8ビットから始まって、今では64ビットが
主流ですよね。128もあるのかな?
ちなみに私の頭脳は未だに8ビットです。
» おつかれさまです。
行ってこられたのですね。楽しかったようでよかったです。
そういえば今はどうかわかりませんがアポロ計画のころは「確実に問題がない技術」を使っていたみたいですね。たとえばもって行ったシェーバーがゼンマイ式とか、、新しい技術や複雑なシステム・技術はなにか問題が発生した際に修復が出来ないためそれによって命が危険にさらされる可能性があります。そのためにも単純で問題が起きないと思われる技術が使われたのでしょうね。
そういえば、これはよく知られている話かも知れませんが去年までマ○ックのCNCが一部の機械を除いてWINDOWS95で動いていた(640フュージョンとよばれるCNCです)のですが知ってましたか。よそのメーカーはどんどんバージョン(パソコンCNCの場合95→98→XPだとか)を代えていく中で、、これもMCやNC旋盤が世界中で使われるため安定して使えるものじゃないとだめ、、といううわさを聞いたことが、、
そういえば今はどうかわかりませんがアポロ計画のころは「確実に問題がない技術」を使っていたみたいですね。たとえばもって行ったシェーバーがゼンマイ式とか、、新しい技術や複雑なシステム・技術はなにか問題が発生した際に修復が出来ないためそれによって命が危険にさらされる可能性があります。そのためにも単純で問題が起きないと思われる技術が使われたのでしょうね。
そういえば、これはよく知られている話かも知れませんが去年までマ○ックのCNCが一部の機械を除いてWINDOWS95で動いていた(640フュージョンとよばれるCNCです)のですが知ってましたか。よそのメーカーはどんどんバージョン(パソコンCNCの場合95→98→XPだとか)を代えていく中で、、これもMCやNC旋盤が世界中で使われるため安定して使えるものじゃないとだめ、、といううわさを聞いたことが、、
» おかげさまで良い夏期休暇になりました
まっどだいまる様
夏休みは如何お過ごしでしたか。
私どもは家族で各務原航空宇宙化学博物館へ行って参りました。
本当に良い場所を教えて頂いて感謝です。
暑かったですけどね。でも家内や子供達の喜ぶ顔を見れて、
良い時を過ごしてきました。
このレスでは「YS-11」から「アポロ11号」の話になってしまいましたが、
シェーバーがゼンマイ仕掛けだったとは驚きです。
本当に月まで行ったかどうかという議論も有りますが、それはさておいて。
技術というものは、「複雑で難解」な物 というイメージを変えて
本当は単純な中にカギがあるという事をこれからの世代に伝えていきたいし、
それが我々のような「3K」現役者の勤めでもありますね。
ウインドウズの件は、私の身内にIT企業を経営している者がおりますので
そちらから聞いてはいましたが、私は98が最も安定していると思います。
CNCは1986年から使用していますが、その当時はまだDOSが全盛の時代でしたね。
今は便利になりました。
また、どこか良い場所などありましたら教えて下さい。
本当に有難うございました。
ヨッチャン
夏休みは如何お過ごしでしたか。
私どもは家族で各務原航空宇宙化学博物館へ行って参りました。
本当に良い場所を教えて頂いて感謝です。
暑かったですけどね。でも家内や子供達の喜ぶ顔を見れて、
良い時を過ごしてきました。
このレスでは「YS-11」から「アポロ11号」の話になってしまいましたが、
シェーバーがゼンマイ仕掛けだったとは驚きです。
本当に月まで行ったかどうかという議論も有りますが、それはさておいて。
技術というものは、「複雑で難解」な物 というイメージを変えて
本当は単純な中にカギがあるという事をこれからの世代に伝えていきたいし、
それが我々のような「3K」現役者の勤めでもありますね。
ウインドウズの件は、私の身内にIT企業を経営している者がおりますので
そちらから聞いてはいましたが、私は98が最も安定していると思います。
CNCは1986年から使用していますが、その当時はまだDOSが全盛の時代でしたね。
今は便利になりました。
また、どこか良い場所などありましたら教えて下さい。
本当に有難うございました。
ヨッチャン
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趣味:
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「半人前のマシニスト」
MCヨッチャンのBLOGへ
ご来訪下さり
有難うございます。
機械加工が本業のサラリーマンです。
50代半ばを過ぎて外構DIYに出逢い、その難しさや楽しさを書き残そうとの思いで記しています。
拙い記事ばかりですがご意見或いはご感想など頂戴できれば幸いです。
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機械加工が本業のサラリーマンです。
50代半ばを過ぎて外構DIYに出逢い、その難しさや楽しさを書き残そうとの思いで記しています。
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